竹内文書・竹内文献

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竹内文書・竹内文献

太古の歴史を今に伝える、「古事記」、「日本書紀」、それらよりもはるか昔の神話を記録した古文書。

はるか昔、日本の天皇(スメラミコト)の祖先が地球に降り立ったころからの、世界最古の歴史を記録した、謎の古文書のことを、「竹内文書・竹内文献」と言います。

古代歴史や古史古伝に興味がある人で知らない人はいないこの古文書を受け継いだのが、皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)である。

3000億年前からの歴史が記載されている現代人の常識を覆す内容は神代文字「かみよもじ」で書かれている。

竹内文書では、「無」から始まり、「宇宙創造」をし、「地球創造」をし、「世界の国々を作りそこに「五色人」を作られたという。

オリンピックの5色の輪も、この五色人から来ているといわれる。
(古代人の運動会のようなものが起源なのではないか)

古代の日本の天皇(スメラミコト)に会うために、世界中から聖人と呼ばれるイエスキリスト、釈迦、マホメット、老子、孔子など世界の大宗教教祖はすべて来日し他と伝えられています。

皇祖皇太神宮に関する各種写真資料

竹内文書や御神宝の数々を総称して竹内文献とし、 竹内文献研究会では定期的に神代文字や文献に関する勉強会を開催しております。 様々なインターネット情報で不正確な情報を見受けられます。
竹内文書を語る多数の出版や情報についても、実際に古文書を見られた方はおりません。
当神宮では実際に実在する「竹内文書」「御神宝」を命を懸けて今なお守り続けています。
その一部を崇敬者に公開しております。


皇祖皇太神宮の菊型御紋

菊花御紋章

菊花御紋章(裏面)

天照大神の日鏡


ヨセフとマリアの御神骨像

勅使(参議官佐中将従三位藤原在
実朝臣)や武蔵坊弁慶(伊豫守源
義顕家臣)の花押の入った祈願文

モーゼの御神骨石

キリストが板に彫刻したイスキリ文字。
右が表、左が裏。
右の立姿は本人の自画像(皇祖皇太神宮所蔵)

イスキリ文字(五十一字)

皇祖皇太神宮の菊型御紋

太古のエジプト象形文字

上:富山市内稲田城跡(マホメットの滞在地)
下:天津彦火火出見天皇の御旧跡(龍宮の池跡)

都市計画前(昭和60年)の
皇祖皇太神宮一ノ鳥居(入口)

現在の皇祖皇太神宮一ノ鳥居

天津護法守 大天空神

御本殿

竹内家に代々伝わる秘伝の「石楠花」

皇祖皇太神宮 拝殿(正面)

富山県
皇祖皇太神宮 御皇城山参道

富山県
皇祖皇太神宮 御皇城山御神

富山県五箇山にある天柱石1

富山県五箇山にある天柱石2

これまで御神宝拝観者と参拝、崇敬した著名人

大正十一年
長峰 浩
河合 日辰 (京都妙顕寺管長)
小泉 日慈 (身延山管長)
磯野 日迹 (池上本願寺管長)
喜多村 日修 (法経寺大僧長)
青淋 日守 (本妙法華寺管長)
渡辺 長男 (銅像工士)
其の他 六十余名
この時の拝観神宝は、日蓮上人の真筆五福他三点

大正十三年
大中臣 親綱 (鹿島香取神宮宮司)
神宮 保寿 (御嶽教管長)
他 十五名
初めて皇祖皇太神宮の神宝の一部五点を出す

大正十四年
吉川 真学 (大阪獅子窪寺)
足洗村有志二十五名
鈴木 長兵術 (石岡名士)
外 三十名
後醍醐天皇および長慶天皇の御真筆数十点

昭和三年三月神宝開端される。
小堀 定信
高畠 康次郎
一条 美孝 (公爵)
有馬 良橘 (海軍大将)
筑紫 熊七 (陸軍中将)
堀内 三郎 (陸軍中将)
横山 正恭 (海軍少将)
佐藤 民雄 (宮内省)
前田 常蔵

昭和三年四月
二荒 芳行 (伯爵)
板倉 勝憲 (子爵)
有馬 良橘 (海軍大将)
福田 雅太郎 (陸軍大将)
佐藤 鉄太郎 (海軍中将)
其の他 一一三名

昭和三年五月
本鄉 房太郎 (陸軍大将)
其の他 六十五名
この年長慶天皇御陵にて祭典す。

出席者
竹内 巨麿 管長
有馬 良橘 (海軍大将)
吉川 真学
高畠 康次郎
岡野 聖憲

昭和三十年中に陸軍士官学校にて
原東 篤太郎 (少将)
手塚 省三 (中佐)
山口 英一 (大尉)
他十教名

三宅坂参謀本部にて
荒木 貞夫
松井 石根
東条 英機
久藤 操
河村 四勝
高畠 康次郎
他数名

昭和十年十月
安江  仙弘 (大佐)
真崎 甚三郎 (陸軍大将)
秦 真次 (陸軍大将)
畑 俊六 (元帥)
田多井 四郎次
他約二十名

終戦後の方々
久邇宮朝融王殿下
長野 文男
中村 嘉寿
岡本 安出
(日本とユダヤの合せ鏡の著者)
中村 一則
賀陽宮恒憲王殿下